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ふた月か、或いはそれより以前のことだったでしょうか。
ご主人様が仰った言葉について、深く考えるようになりました。
その言葉とは……。


「菜々子は性質がMだから、性格もMだし、性癖にMが顕れることも当然なんだよ。」


はじめは、ご主人様の仰っていることがよく解りませんでした。
わたしは生まれたときからわたしでしかありませんし、Mの要素を孕まない思考の仕方や悦びの感じ方を知りません。
普通の恋愛をしたこともありませんし、“恋をしている”という自覚を持ちながらご主人様以外の異性を想った経験すらないのです。
二十四年間という人生のなかで比較対象となるできごとや想いがないわたしは、ただひたすらに自己と向き合い周りを見渡し分析するより他に、その言葉の意味を理解する方法がありません。

性質がMって、どういうこと……?



***



五月、わたしが光の世界――健全なひとたち――に憧れて胸を焼かれていたとき。
それでも、その憧れに心奪われず、“わたし”という存在の有り様と向き合い・考えていたとき。
ご主人様に問われました。
私は菜々子に十分に与えてやれているのだろうか、と。
特別深刻な話し合いの場面ではなく、ごく普通の会話のなかで、です。

それで、わたしはちょっとだけ考えて、お答えしました。


わたしはいまご主人様に与えられているもので満足しています。
『もっと欲しい』と想うことと『不満である』こととは、別の状態です。
ごく普通にお付き合いをして、結婚をしてというお友達に比べたら、それは傍目から見たらわたしは足りていないのかもしれませんが、わたしは、ご主人様から与えられているもので満ち足りているのです。ご主人様以外の方に『もっと欲しい』と想うものを与えられたって、全然幸せになれません。ご主人様でなければ意味がありません。わたしはご主人様がいいのです。

――ですから、『満ち足りているからさみしくない』し、『もっと欲しいから逢いたい』なのです。
わたしは幸せなのですよ。


こんな風にお答えしたら、ご主人様は「やっぱり菜々子はMだなぁ。」と笑っていらっしゃいました。
わたしは「??」の状態です。
これのどこがM的回答なのか、全く解らなかったのです。



***



それでも、この初夏に想い巡らせた様々のできごとのなかで、わたしなりに、少しずつ、
『性質がM・故に性癖もM』という構造が、見えてきた気がいたします。
未だ上手く説明するには至りませんが、諸々の辻褄が一気に合いはじめたことで、等身大のわたしの姿が急速に明瞭になりました。
不当に評価を下げるでもなく、美化するでもなく、とても現実的に。



***



性質がMであるということは、わたしという存在が被虐的であるということなのでしょう。
被虐とはつまり受身の存在であるということで、わたしというもののすべてをご主人様にお委ねしているということです。

ご主人様のものであるわたしがご主人様の愉しみや悦びのために使われることはごく当たり前のことであり、
たとえば、そのための準備や習慣についてご主人様よりご指示をいただいた際、わたしのなかには「ご主人様のために」という意識すら存在しません。
それが当たり前のことであるからです。

ご主人様がわたしをお使いになって悦びを感じて下さる――その大きな流れのところどころでわたしが悦びを得ることは、言ってしまえば、わたしの本来の目的ではないのです。あくまで副産物に過ぎません(それによってわたしは、ご主人様からとてもとても大きなしあわせをいただいておりますが……。)。


わたしの目的、わたしのしあわせ。
それは、ご主人様の悦びなのです。


ですから、ご主人様がご自身の悦びのために用いる手段が何であれ、わたしはその媒体として、しあわせと悦びとを全身に感じることができるのです。
拘束され針を刺されようが、縛られようが、蝋を垂らされようが、或いは逆に、恋人のように甘く優しく抱いて下さったときにも、ご主人様の悦びの波紋はそのままわたしの上へ及びます。わたしはご主人様の悦びに感応する存在なのです。

どうやらご主人様は、そういったわたしの精神構造を「性質がM」と仰られたようです。
ご主人様の悦びがそのまま悦びになるわけですから、痛みも恥辱も悦びになり、結果的に反応が――性癖がMとして表面に顕れる、ということなのでしょう。
ご主人様との関係は、日常でごく普通の女性として生活しているわたしにも多大なる影響を及ぼしておりますから(寧ろ、日常の方がわたしにとっては「影」であるのかもしれません。本体はご主人様との時間の中にあり、日常のわたしは、真実のわたしの影なのです。)、振る舞いや言動・反応にもM性が滲んできます。それが性格がMということのようです。



***



ご主人様に初めてメールをした日のことを、思い出しました。
当時、わたしは、「わたしのなかに“ご主人様”という一本の柱を打ち立てていただきたいのです。」――そのように胸の内を語った記憶がございます。
一七歳のわたしは、SMに生きる理由を求めたのです。
主がいなければ、わたしには生きる理由を感じられなかったのです。



***



あれから様々なことを学び、愛を知り、自己否定も無価値観も訂正され、わたしは現在なにかに怯えることなく「わたしを生きて」います。
そして、この地点に立って漸う冷静に自己を見詰め、原点回帰の想いを抱いております。

孤独感と、人間という存在の不確かさへの不安、自己否定から主を求めていた十代とは精神の有り様が変化し、わたしの胸には自己への愛も他者への愛も宿っています。
それでも一つ、絶対的に変わらぬのは、半ば絶望の底にあった中で打ち立てられたわたしの柱――ご主人様の存在です。
わたしの世界はその柱に支えられているのです。どうやらそれは、ずっと、ずっと変わらないようなのです。


わたしが生きる理由は、「ご主人様」になりました。
SM行為は、「そのための手段」へと必要性を変えてゆきました。



***



ですからわたしがご主人様と別れるそのときは、SMも辞めるのです。
わたしにとってのSM行為はご主人様がお使いになる「お道具」のひとつであり、ご主人様以外の男性がお使いになる道具になど、この躰を許すわけにはいかないのです。
わたしはご主人様のものなのですから。
(SMを辞めて健全な女性に戻るという選択肢でないのなら、ご主人様と別れることに一欠片の意味も存在しません。)



***



わたしにとって「わたし」を中心とした悦びは有り得ないのです。
すべてはご主人様がお与え下さるもの。

現段階では、わたしの「性質がM」とは、そのように認識しております。



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初めまして

被虐と受身は意味がまるで違います
2013/06/22 12:44 |赤調 #-URL[ 編集 ]

赤調さん*

初めまして。コメント有難うございます。

被虐と受け身とは違うもの、わたくしもそう考えております。
この文章はわたくしの想い(マゾヒズム)や、ご主人様への感謝を、
不特定多数の方の目に触れてもご不快な思いをなさらないように、言葉を選んで書きました。
それ故に表現が甘く釈然としない箇所などあるかもしれませんが、
エントリーを遡ればわたくしの被虐について少しばかり記述したものも御座いますので、
もしご興味をお持ちいただけたのでしたら、そちらをご覧下さいませ。

当ブログはあくまでわたくし菜々子の想いを綴る場所として使用しております。
その点、ご了承いただけましたら幸いです。
2013/06/22 23:32 |菜々子 #-URL[ 編集 ]

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