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こころが乱れるのは、決まって夜です。
乱れる……と表現するよりは、淫らに膨らむ、と云う方が正しいのかもしれません。
感情と、感性と、官能と、過去の記憶とが、縺れて膨れ上がって……ひっそりと仕舞っているならまだしも、公共の場に晒してしまうとそれはとても見苦しい。(わたしから見て、『自分のそれ』は。)
自分の中で整理のついていない事柄を、人目も憚らずにだらだらと垂れ流して居るのだから、当たり前だけれど美しくないと感じるのです。
(……繰り返しますけれど、あくまで『自分のそういう状態を俯瞰したときに美しくないと感じる』のです。)


ここで指している公共の場とはTwitterのことです。
昨夜は、繊細な感受性を持ったM女性が繋がっている輪の中で独り善がりに想いを吐露してしまって、反省しました。
もう、独り言を延々と呟くだけの場所ではなくなったというのに……、
ほんとうに、お恥ずかしい限りです。
申し訳ありません……。

わたしは、わたしの在りたいと望む姿で在ることが出来るから、
自分自身で美しいと思えない昨夜のような言動は二度とすまいと決めました。


ただ、わたしにはこうして
感情と思考を一度言語化し、アウトプットすることによって整理する方法が最も有効なので、引き続きこのブログはそういった用途にも活用していこうと思います。

前へ進むことを、
自由であることを、とめたくないから。




こうやって昼間に振り返ると恥ずかしくてならないのに、夜になるとどうして押し流されてしまうのか……、
少し考えてみたら、ひとつの答えに辿り着きました。

順を追って書き出します……。


ここ三年ほどはアダルトチルドレンや家庭の問題についてばかり自分の時間や精神を費やしていて、鬱状態に陥って仕舞ったり、わたしには本当に余裕がありませんでした。
生きる意欲が低下すると性的な意欲も低下して仕舞って、自分のマゾヒズムと向き合う時間、大切に扱ってやるこころのゆとりも(つまりそれは、ご主人様のサディズムと真摯に対峙し、悦びを深く掘り下げていくという行為も……、)まったく持てずにおりました。
(といっても、ハードな調教を受けられなかっただけで、愛し合う手段としてSMを取り入れることは十分に出来ていたのですが……。)

それが、今年の8月の頭から『自立した精神』を目標に或る日課を取り入れたことで(瞑想のようなものです。)、下旬頃にはかなり精神が安定してきました。
始めたときには殆ど自覚していなかったのですが、
明確に、依存状態から脱しようという強い意思をもって続けた行動が、『ありのままの自分で、自由に生きる』、ということへの、『覚悟を支える基盤』を固めてくれたのです。


細かに書くと……、
このブログを始めるよりずっと前から、長い間、わたしはご主人様依存症でした。
Mという立場的にもご主人様に依存することは悪いことではない……、と、改善するための努力を怠っていたのです。
両親との関係性が複雑に拗れ、体調を著しく崩してしまったこともあって、本当に、ご主人様に寄り掛かってばかりいました。

けれど、今年の初夏から色々な事情が重なって、
もうしがみつくようにご主人様に依存することは止めよう、と、かたく決めました。

依存的な精神は些細なことで混乱してしまって、感情的に乱れ、苦しみ、結果として『苦しむわたしを見てご主人様が胸を痛める』という状態を生み出してしまうのです。
少しずつその度合いが軽減し、少しずつ、少しずつ成長していたとはいっても、もう、わたしはこりごりでした。
自分の幼さで自分が苦しむことも。
それによって、ご主人様を悲しませてしまうことも……。

その為にはもういい加減に『わたしが』変わらなくてはいけない、
もう繰り返したくない、
と、
……そう心に決めたのです。

真実に、
依存ではなく、愛で、ご主人様に応えたかった。
ご主人様に寄り添いたかった。

しがみつくのではなく、隣に立てる女に、成りたい。

とても怖くて堪らなかったですけれど、
毎日、毎日、自分で選択したその意思を、どのような感情に呑まれそうになっても選択し続けました。

逆に、これまで自分が後悔してきた言動は決して選択しないように、常に冷静さと思い遣りを意識しました。

そうして、3週間ほど経った頃でしょうか、
新たな思考回路が築かれた、道が繋がった感覚が、脳を走り抜けました。

二十歳を少し過ぎた頃、
唐突にご主人様の『言葉』を理解できるようになった日と同じ感覚でした。

ずっと囚われていた思考の偏り、依存的な心の在り方から抜け出したことを、その数日後には確認できたように思います。
時折、ふとネガティヴな思考に囚われそうになっても、これまではご主人様に頼っていたところを自力で修正できるようになったのです。

疲れることは日々の生活の中にあっても、
悲しみや怒りや苦しみに囚われることがなくなった……、
その感情に『囚われている必要は無い』ということを、理解しました。

感情は自然現象ですから、
どんなに強く思われるものでも、嵐と同じように、その瞬間をやり過ごして仕舞えば通り過ぎてくれるのです。
感じてはいけない、と、封じ込めるのではなく、
ごく自然に感じ、その感情が生まれたままの形を見つめてやれば、自分の手で、意思で、宥め穏やかにしてやることが可能であると知りました。

自分は、なりたい自分に成れる。
穏やかでありたいと本気で思えば、愛を軸に生きていきたいと心底から望めば、そのための行動を常に選択できる。

ずっとそれを選ばずにきたのは、自分でした。

恋は衝動的で、欲望し、期待する(……故に時には『裏切られ』、傷つく。……)ものだけれど、
愛は、……もちろん、情熱的な顔も持ち合わせてはいますが……、
穏やかで、揺らがず、常に安心出来る。
独り善がりにならずに、常に相手と繋がることができる。

恋が瞬間的に盛り上がるドラマチックな衝動ならば、
愛はやさしくてつよい意思の継続。
そこから自然と生まれる行動や想いによって、相手が愛であると感じ取ってくれるもの。

そのことが体感として漸う腑に落ちてから、日々がとても穏やかになり、
ご主人様への想いも、態度も、行動も、
そして、自分で自分に向ける視線も、
……つまりは、自分のマゾヒズムを見つめるときの心境も……
大きく変化しました。


……この心境の、精神の在り方の変化が、昨夜の自身のマゾヒズムの吐露に繋がったのだと思います。

昨夜の吐露で気づいたことが二つありました。
一つは、わたしのマゾ的な資質は幼少期に受けた同年代の子供からの暴力的な関係が起因ではなかったのだということ。
(ご主人様には、ずっと「関係無いよ。」と言われていたのですが……。)

二つ目は、
生まれて初めて純粋に、自らのマゾヒズムと向き合うことが出来るようになったのだということです。


わたしはずっと無意識に
Mという立場を利用していました。

わたしの中のマゾヒズム自体はもともと純粋な性質として存在するものですが(幼少期からその兆候がありました。)、
わたしはそれを純粋な個性として尊重すること無く、寧ろ否定しながら、
ご主人様に依存するためのツールとして使っていたふしがありました。

不安で堪らない自分を、ご主人様に依存することで何とか安定させようとする……そのためのM。

けれど、その不安定な状態はすぐに苦しみを生み出してしまうことに気付き、
気づいたは良いものの、
止めようとしては止められず……を、何度も何度も、何度も繰り返し、
何年も、何年も……

けれど、これではどうやっても幸せに成れないと、
不安からは抜け出せないと、

変わることを心に決め、
不安であることを止められた瞬間から、

マゾヒズムは、わたしの悦びの源泉である

純粋な姿を取り戻しました。

何に利用されることもなく。
誰に気に入られるためでもなく。
安定を得るための道具でもない。

わたしの個性。

……誰が否定しても、ご主人様は愛してくれる。
わたし自身が、愛している。


幸せになってもよいのだと 感じました。
人生を楽しんでもよいのだと 知りました。
愛するひとと、ともに満ち足りた時を過ごしてよい。
そのための、わたしだけの、誰のためでもない 自由な 生き方をしてもいい……。


やっと、自由なわたしが、
『わたしと私』ではない、
ひとりのわたしが、
生きることを決めたのだと思います。


もう、親のために生きなくてよい。
不安に囚われて自分を傷つけなくてよい。
ご主人様を愛して生きていける。

胸の奥深くにパンドラの匣として沈めていた、自ら禁じていた個性(マゾヒズム)が、
膚の、薄皮一枚隔てた柔らかなところまで、みずみずしく充ちているのを感じます。

わたしは、わたしであってよい。

10年かかりました。
SMの道に入って、自分のマゾヒズムを赦すのに、10年。


もうすぐご主人様に出逢った季節が来ます……。

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